こんにちは!しきぶろぐです。
前回に引き続き新選組。の歴史を分かりやすくまとめました!
詳しく知りたい方は、4コマの後からご覧ください。
簡潔に4コマで!
池田屋事件
倒幕兼尊王攘夷を支持する長州・土佐藩士(一部)が池田屋で密会!
新選組が突入!戦闘!捕縛!
禁門の変
昨年京都を追い出された長州勢が反発!
幕府軍×天皇vs長州藩に
京都御所(禁門)の門の前が激戦区だったことから禁門の変
敗北した長州藩は朝敵(天皇家の敵)となる。
→新選組も活躍!
どんどん不定浪士(倒幕派)を捕らえ、
油小路の変
新選組と元新選組で御陵衛士の伊藤甲子太郎ら数人が鉢合わせ兼戦闘に!
御陵衛士らが殺害され新選組が勝利した
ただここから新選組は下り坂に…
五稜郭の戦い
幕府軍の敗北地。京都から北海道に向かう途中で離隊者が増えていった新選組。
局長近藤勇も処刑されてしまう。
最終決戦地の北海道函館市の五稜郭に立て籠るが…
土方歳三も戦死。
新選組も降伏する。
解散までのカウントダウン
八月十八日の政変で新選組が近藤勇を頂点とする組織になって以降の歴史です。
重要なものは黄色、主要人物は赤色でマーカーを引かせて頂きました。
(1863年)
文久3年:9月26日 長州藩の間者御倉伊勢武、荒木田左馬之助、楠小十郎が粛清(隊士だった)
文久3年:10月 岩城升屋事件 呉服屋(大阪)に入った不逞浪士を撃退。
文久3年:12月27日 野口健司切腹。
(1864)文久4年or元治元年
5月 大阪西町奉行所与力「内山彦次郎」刺殺
6月5日 池田屋事件 奥沢栄助戦死。安藤早太郎、新田革左衛門戦死。
6月10日 明保野亭事件
7月19日 禁門の変
8月 近藤勇との間にわだかまり。永倉新八、斎藤一、原田左之助、島田魁、尾関政一郎、葛山武八郎が松平容保に非行五箇条を提出
10月27日伊東甲子太郎ら、入隊。
(1865年)慶応元年
1月8日 ぜんざい屋事件 土佐勤王党らによる大阪城乗っ取り計画を阻止
2月23日 山南敬助切腹。
3月10日 西本願寺へ屯所を移す。
9月1日 松原忠司死亡
慶応2年(1866年)
2月15日 河合耆三郎切腹
4月1日 谷三十郎死亡
9月12日 三条制札事件 土佐藩士捕縛 制札引き抜き
慶応3年(1867年)
3月20日 伊東甲子太郎、藤堂平助、斎藤一ら13人、御陵衛士として離隊
6月10日 幕臣取り立て決定
6月15日 不動堂村に屯所
6月22日 武田観柳斎刺殺
11月18日 油小路の変 御陵衛士と戦闘。伊東甲子太郎、藤堂平助、毛内有之助、服部武雄ら刺殺
12月7日 天満屋事件 海援・陸援隊士と戦闘。宮川信吉・船津釜太郎戦死。梅戸勝之進重傷。
12月18日 近藤勇 墨染で御陵衛士の残党に狙撃され重傷
慶応4年、明治元年(1868年)
1月3日 鳥羽・伏見の戦い 一名戦死。
1月5日 淀千両松の戦い 井上源三郎ら7名戦死。
1月6日 橋本の戦い 4名戦死。
1月10日 軍艦富士山丸・順動丸で江戸に向かう途中 山崎丞死亡。
3月6日 甲州勝沼の戦い 隊士2名戦死。
3月12日 永倉新八、原田左之助ら離隊。靖兵隊を結成
3月13日 五兵衛新田の金子家等を屯所に
4月2日 下総流山に布陣
4月3日 近藤勇、新政府軍に投降
4月12日 土方歳三、旧幕府陸軍に加わる
4月19日 宇都宮城の戦い
4月25日 近藤勇、板橋刑場で処刑
4月25日 白河口の戦い
5月17日 原田左之助死亡?
5月30日 沖田総司、肺結核で江戸で死亡
8月21日母成峠の戦い
8月24日 山口二郎(斎藤一)、池田七三郎ら13人会津に残留
明治元年10月26日 旧幕府軍 箱館・五稜郭へ入城
明治2年(1869年)
4月13日 第一次二股口の戦い
4月24日 第二次二股口の戦い
5月5日 市村鉄之助箱館脱出
5月11日 一本木関門 (現・函館市若松町)あたりで土方歳三戦死
5月14日 相馬主計が新選組局長に 弁天台場の新選組降伏
5月18日 旧幕府軍降伏 戊辰戦争終結
参考文献
菊池明 新選組の真実 PHP研究所 2004年
宮地正人 歴史の中の新選組 岩波書店 2004年
伊東成郎 新選組は京都で何をしていたか KTC中央出版 2003年
最期に
幕末の動乱の最中ふっと現れ、花のように散っていった新選組。
力強さと儚さには涙を流さずにはいられません!ファンになった読者がここにも一人。
最後までお読みくださりありがとうございました!少しでも皆様が新選組に興味をお持ちくだされば幸いです!
次回は新選組のメンバー等に焦点を当てていけたらなと思っております。
新選組の歴史 (前編はこちら)